泉岳寺では赤穂義士を偲ぶ「義士祭」が12/13~15の3日間開催され、12/14は歌舞伎座から泉岳寺まで約6kmを行進する「忠臣蔵赤穂義士行列」も行われました。
ナカノヒトも、寄り道しながら赤穂義士が討ち入り後に歩いたといわれるそのルートを辿りました。
ご存じの方も多いかもしれませんが、1702年(元禄15年)12月14日は、赤穂浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ)邸に討ち入りし、主君・浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)の仇討ちを成し遂げた日です。
舌をかみそうなこのお二人や赤穂藩に起きた「赤穂事件」は後に人形浄瑠璃や歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』として、現在まで語り継がれています。
そういえば昔は年末になると大型時代劇として「忠臣蔵」をよくやっていたような記憶が…
当時はあまり興味がありませんでしたが、実際の歴史の場所がこんなに身近にあると色々知りたくなり、関係書籍や映像を調べている今日この頃です。